「良心を保つ」 07.02.18
使徒言行録24:1〜27
神さまと隣人を愛する生き方が、一番心健やで、人間らしい
生き方であることを、聖書を通して知らされています。
そのように生きたいと願っています。
言いがかりによる暴力や暴言を受けながらも、恐れ、怯える
のでなく、実に堂々としているパウロの姿があります。絶大な
権力を持つローマの総督がパウロの話を聞いて恐れている
のに比べ、パウロは落ち着いています。「神に対しても人に
対しても責められることのない良心を絶えず保つように努めて
いる」と言います。そこに、心健やかに立ち続けることの出来る
力の源がありました。
聖書の「良心」との言葉には、「共に知る」という意味が
あります。 自分の考えや行いを、共に見て知っている存在と
いうことです。それは、「心の中のもう一人の誠実な自分」と
いうのではありません。
揺れ動くことの多い自分ではなく、神さまです。ですから、
良心に従う生き方は、神さまに問いつつ、神さまに従うように
して道を進んでいくことです。自分と共にいて、自分の状況を
知っておられる神さまが、お喜びになることか、それとも
悲しまれることかは、少し考えればすぐに分かることです。
自分に問いたい気持ちを脇に置いて、出来るか出来ないか
問うことも後にまわして、まず、「神さまは、自分の考えや行いを、
神さまと人を愛することとしてみなしてくださるだろうか」と、問い、
考えることは、大切です。
しかしながら、パウロが堂々としているのは、自分が神さまに
従ってきたという自信があるからではありません。「努めてきた」
からです。彼は、自分の罪を取り除くために十字架にかかって
くださったイエスさまが、欠けや不十分なところを補ってくださる
ことを知っています。だから、出来、不出来に心奪われないのです。
私たちも、神さまに従うことを努めるのです。
その時にこそ、自分の欠けを補ってくださるイエスさまに
気づけます。
その時にこそ、「大丈夫だ」と語ってくださるイエスさまの
声を聞かされます。